再び本願寺教団当局にただす

信楽 峻麿

  今年一月、私は『本誌』紙面をかって、西本願寺教団が、人の死を「還浄」と呼び、地方におサる葬儀形式については、新しく、「還浄」という札をかかげ、そのようにそめぬいた幕をはり、そのように書いた提灯ををかかげるように指導していることに対して、それには問題があるといって、教団当局に、その是非を申入れた。それは還浄の「還」とは、還相廻向の「還」で、もといたところにもどるということを意味するから、葬儀で「還浄」という言葉を用いると、人間の死が、もといた浄土にもどるということに解されることになり、またそのことによって、「往」と「還」との区別がつかなくなり、真宗教義の「往還」二種の綱格が、まったく崩壊することになると憂えたからである。
  私がこの見解を公開したところ、全国から多く賛同をいただいたが、また最近、それが教団では、いかように対応されたかという質問も多くよせられている。私の要望に対しては、当局からは何らの返答もないが、この問題をめぐる当局側の発言はいろいろあったので、その後の経過を報告することとする。

【教学研究所長の見解】
そもそも、私がこの問題を提起したのは、かって私の大学ゼミナール生として、ともに親鸞教学を学んだ尺一英順君が、寺院の住職を継承しながら、若くして死去したことについて、本願寺がおくった追悼文の中に、「還浄」と書かれていて、それについて、父君の尺一顕正氏が疑問を呈されたことに端を発するものである。
  尺一氏が、それについて本山に質問されたところ、教学研究所長の石田慶和氏が、一九九九年一二月一五日付で回答されたが、その中で、この「還浄」とは、「他力法門の本義」であり、「聖人の教えに即した言い方」であるから、その使用は正しいと主張された。そこでその文書について感想を求められ、相談をうけたので、私自身の名において、それはおかしいと教団当局にただしたわけである。
  そこで尺一氏は、その私の論文にもとづいて、再度、石田所長に質問したところ、二〇〇〇年一月二八日付をもって、前の主張とは異なって、「還浄という表現が正しいとか、それを積極的に用いるべきだと申しているわけではありません」と回答された。前言の「他力法門の本義」「聖人の教えに即した言い方」という主張はどうなったのか。まことに無責任な前後矛盾した回答である。

【基幹運動本部専門委員の見留】
  また基幹運動本部専門委員の沖和史氏が、尺一氏に宛た一九九九年一二月二二日付の書簡によると、この「還浄」という札は「過渡的な形式である」と弁解しているが、この過渡的ということは、どういう意味をもつのか。いっぱんには、それは便宜的なもので、一定の期間が過ぎたら廃止するということであろう。とすれば、この「還浄」という言葉を使用するのは、まったく便法的なもので本義ではなく、いずれは廃止するということであるが、教団は組織の下部にこんなあいまいな指導をして、ほんとに最後まで責任をとりうるのか。ことに下部には、こうして「忌」の字の使用を禁止しながら、上部の当局は、あいかわらず「正忌」「遠忌」の語を用いているのはどうしたことか。まことに無責任というほかはない。その疑問に対して何と弁明するのか。


【教団総局の見解】
  さらに、尺一氏の質問に対して、教団の総局は、二〇〇〇年四月二七日付で、木下慶心総務の名において回答したが、それには「教学上の見解と儀礼などの上で用いられてきた歴史的経緯や現状の関係を、できるかぎり的確に捉えて、各方面にご理解いただける方法で対處してまいる必要があると考えております」といっている。しかしながら、このように多くの反対がある問題を、「各方面にご理解いただサる方法で対處」するとは、どういうことか。
そんなことができるはずはないではないか。この回答文を見るかぎり、総局の意図は、質問回答の責任を回避↓て、ついにはウヤムヤにしようと考えていることが明白である。
  かくして、この「還浄」問題については、上に見た教学研究所長の矛盾した弁明、基幹運動本部専門委員のあいまいな態度、総局の無責任な回答などから分かるように教団には、何ら確固たる識見も自信もなく、またそれについて、責任をもって取りくもうという誠意は、まったくないことが知られてくる。以上が、「還浄」問題をめぐるその後の経過報告である。
  このように、教団当局は、自らが言いだしたことに、末端から疑惑を呈したら、さまざまに言いのがれをして、何ら明確な結論を下しえないわけである。とすれば、私たちは今後、もはや中央とは別に、真宗者のひとりひとりが、自らの教学と信心にもとづいて、その行動を選んで生きていくほかはないだろう。

【破地獄の文】
そこでもうひとつ、最近の本願寺教団の葬儀形式で気になることがある。それは一九八六年に発行された『葬儀規範勧式集』によると、帰敬式の剃刀の際に、仏教各宗を通じて、またわが教団でも、近世以来長く依用してきた、『清信士度人経』の「流転三界中」の文を廃して、『無量寿経』の「其仏本願力、聞名欲往生、皆悉到彼国、自致不退転」の文を用いるように規定している。また納棺尊号の書式についても、名号の両側に、この文を分割して書くように指導していることである。
  ところで教団当局は、この「其仏本願力」の文は、葬儀にかかわって用いられる場合には、民間では古くから、「破地獄の文」といわれて、この経文を書いて棺の中に入れると、地獄をのがれて浄土に往生できると伝承されてきたことを承知しているのか。このことは中国の古い説話によるもので、むかし玄通なるものが、地獄の閻魔大王の前で罪を調べられた時、この文を誦したら、大王が罪を赦して浄土におくった、ということから、この文が「破地獄の文」といわれるようになり、そのことについては、法然上人の『和語燈録』巻一に詳しいところである。なお、この文は、親鸞聖人は重視されて、『行文類』などに引用されているが、それはまったく別の意趣によるものである。
そこで教団当局に質問するが、なぜこの文を用いることにしたのか。またそれが「破地獄の文」といわれていることを承知の上で用いたのか。もしそうだとすれば、上に問題にしている「還浄」と同じように、信心がなくても、浄土に往生できるということを教団が認許することとなり、そしてそれはまさしく、教団みずからが真宗を呪術化させていくことになるが、それでよいとするのか。またもし、そのことを知らないで用いたとすれば、あまりにも教学的に無知である、というそしりをまぬがれえないだろう。いずれにしても、このことは「還浄」の問題とともに、今日の教団の経営が、教学不在のままにすすめられていることを物語る、何よりの証左である。
  教団の経営にかかわるものの責任は、まことに重大である。すべからく緊急に善處されるべきことであろう。私は最近この教団から、教学、信心が、いよいよ欠落しつつあることを思うて、深く慨嘆せざるをえないところである。

【先人の足跡】
  かって江戸時代に、玄智(一七三四-一七九四)というすぐれた教学者がいた。彼は、当時の西大谷において、僧侶が墓前で読経することについて、それは骨に向かって読経することであり、教義にもとると批判して、小さな名号の木牌を作り、それを墓前に安置して読経することに改めさせた。そのことは今日まで伝統されている。現在の無量寿堂の納骨檀の形式は、そのことを承継したものである。民間の習俗に対して、それなりに真宗教義を貫徹させようとした、先人の叡知と努力の跡である。
  真宗教団の歴史には、それぞれの時代の中で、真宗教義を逸脱する状況が生まれてきたが、先輩の教学者の中には、それに対して、きびしく発言し、まことの真宗の教義、信心を、よく擁護し、貫徹させてきたものもいたわけである。
  いま私もまた、非才なりといえども、先人の驥尾に付して、昨今の本願寺教団の、異常な脱線状況を見るについて、もはや黙視するに忍びえず、その是正を願って、このように強く訴えているわけである。心ある真宗者の、熟慮と賛同を希うてやまないところである。

(提供 信楽峻麿 入力 棚原正智)

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